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2012年3月29日
終りの寒さに未来へのヒント

京都市,上京区,北野天満宮の梅(2012年3月3日撮影)

3月も終り、春4月が始まるというのに意外に寒さが残ります。

もちろん、昼間は陽も射して結構な気温とはなりますが、朝晩はまるで真冬に戻るような毎日です。

「いつまでも寒いですね」といった挨拶が、自身を含め京都の方々で聞かれます。そのためか、植物の成長や開花が遅れているという話も耳にします。写真は、3月初めに訪れた北野天満宮の梅ですが、花の催事「梅花祭」を過ぎた頃にもかかわらず、やはり遅れが見られました。

植物の成長と聞き、気になるのが桜の開花。いつもなら、そろそろ市内でのそのお目見えが噂されるのですが、今年はまだありません。毎年お世話になっている友人宅の花見も、この状況を見越してか、例年今頃の予定を、4月の2週以降に繰り下げました。遠方からの花見観光を予定されている方は、どうぞご注意下さい。

楽しみながら中庸の道を

さて、寒さに対して不満めいたことを書きましたが、筆者はさほど寒さを嫌っておりません。寒い時期だからこそ味わえる楽しみもあるからです。例えば鍋料理であったり、熱燗での一献などなど……。

ただ、外に寒さがあっても、家の中が過剰なまでに高温に保たれていると、これらの楽しみは、その本質部分で半減すると思います。筆者は古い町家の一種(高級なものではありません)に住んでいますが、抑えた(元々効きにくい)暖房のもとで味わう日本酒は格別であり、マンションなどの高気密・高温環境で味わうそれとは、明らかに違うと感じられます。

春は直に訪れます。少し長引きながらも去りゆく冬を惜しみ、そのような観点から寒さを楽しんでみるのも一興ではないでしょうか。上着を1枚足したりするなど、決して難しいことではないと思います。

昨年の震災及び原発事故以来、私たちはエネルギーの利用について再考を余儀なくされています。暖房用電力の節電を懇願する告知のすぐあとに、冷えたビールのCM。現実に存在するこんな矛盾を、子供たちや世界の人々にどう説明すればいいのでしょう。

発想を変える良い時期だと思います。過剰を慎み、楽しみながら中庸の道を模索する――。冬の終り。時期外れの寒さの中に、未来へのヒントが見え隠れします。


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