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2011年7月31日
暑さと電力の心配のはざまにて
早いもので、今年の7月も終ろうとしています。
京都では先月下旬から暑い日々が続いていますが、特に今月の中頃からは朝晩の気温も高止まり状態となる、逃げ場のない「酷暑」と化した気がします。
ただ、幸いなのが、昼間の日照が振るわず、そのせいか、狂乱的ともいえる、気温35度以上の「猛暑日」が続かないという、近年の盛夏としては、珍しい状況となっております。
梅雨の残存影響か、南北高気圧の優劣に因るものか、原因はわかりませんが、予想外の状況に、大いに助けられているのが、「電力危機問題」ではないでしょうか。
既にご存知かと思いますが、震災被害を受けなかったここ関西でも、原発の点検と不具合に因る運転停止を受け、電力の不足が懸念されております。供給量が昨夏のピーク量を下回っていることから、この先、首都圏と同じく、大規模停電の危険性すら高まっています。
現在は何とかその危険は回避されていますが、明日から始まる「最も暑い月」8月が心配です。ちなみに当工房では、首都圏計画停電実施直前に導入した、ささやかな無停電装置により、作業中のデータ破損などの最悪状況は避けられるように対策しております。しかし、業務全体に対する影響回避という点では極めて限定的です。それより、社会全般、特に「公共」への影響が懸念されます。
掲載の画像は、今月16日の夜撮影した祇園祭宵山の様子。ご覧の通り、多くの提灯が使用される伝統的な形式が見られますが、昨今では、そのほぼ全てに電灯が使用されています。当然ですが、そう遠くない時代までは、当り前のように蝋燭が使われていました。しかし、もし今、それを元に戻す必要が生じた時は、様々な事情から、大変な困難が生じます。
祇園祭の提灯事情は、私たちが置かれている状況の縮図のように感じられます。便利さと、「一応の安全性」から、私たちは過大に電力に依存してきました。しかし、今回の騒動で、その供給から使用までの全体の再考を迫られたような気がします。
暑さと電力の心配のはざまにて、あるべき未来の姿を描きなおす時が来たのではないでしょうか。